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2026/04/24 13:44 ~ なし

母は膀胱癌で他界

母は膀胱癌で他界

父が亡くなって3年目、やっと元気を取り戻した母が膀胱癌になりました。医者も周りの親戚も、膀胱全摘しウロストミーを付ける治療法を強くおすすめします。しかし母は、嫌がっていました。函館中の病院を受診しましたが、答えは同じでした。私は必死でネットを調べ、免疫治療がある事を知りました。母も乗り気で、それから函館と東京都葛飾区の行ったり来たりの生活が始まりました。
母の癌は、尿管と膀胱の繋ぎ目に出来ていたので、免疫治療でもなかなか良い結果は出ませんでした。しかし私たちは淡い期待を胸に通院していました。
そんな時、函館で母が階段から落ち救急車で運ばれたと親戚から連絡がありました。首の痛みが強く動けないけど、骨折はしていないからと家に帰されました。トイレにも行けず寝たきりになりました。私もずっと函館にいるわけにもいかず、親戚に面倒を診て貰うわけにもいかず、痛みを我慢して飛行機で東京都葛飾区に来てもらいました。免疫治療をしている病院の整形を受診すると「頚椎骨折」でした。「痛いわけだ。函館の病院しっかりしてくれよ」と思いましたが、父が「そろそろ娘のところで暮らしなさい」と言っているのかなとも思いました。
高齢な事と癌の治療中なこともあり、オペではなく固定で様子を見る事になりました。それから介護生活が始まりました。
数か月たち痛みも和らぎ、散歩や入浴、免疫治療も再開しました。しかし癌細胞で尿管をふさいでいるので、尿の出が悪くなり血液データーの数値も悪くなってきました。「いつどうなってもおかしくない状態」と父の時と同じ事を言われました。
徐々に体力も落ちてきました。息をしているか部屋をのぞいたりもしました。思い出を作ろうと子供や孫たちと一泊旅行にも行きました。
通院も難しくなってきたので、訪問診療に切り替えようと思っていた時です。朝食を済ませおやつのところてんを食べ、おしゃべりしていた時、急に「あらへんだわ」と言い出し顔面蒼白になりました。トイレに行こうとしたので、便が出たのだと思いますが、とりあえずベットに横になってもらいました。後から警察の人にタール便だと聞きました。痛み止めをずっと飲んでいたので、胃からの出血で血圧が急に下がったのでしょう。背中をさすっているうちに、あっけなく息を引き取りました。
心マすれば良かったのかもしれません。でもその頃はコロナの影響で、面会も最期の時も近くに行けない状況でした。戻るかどうか分からないのにいたずらに肋骨を折って心マし、病院では処置室に連れて行かれ、私は廊下で待たされ、「やっぱりダメでした」と言われるのが嫌だったのです。病院ではなく自宅で家族のそばで静かに逝かせたかったのです。
それが正しかったかは、今でも分かりません。

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